10/20“すごい大学生”ってなんだろう??-全共闘から学生起業家まで-

今回は、「“すごい大学生”ってなんだろう??-全共闘から学生起業家まで-」という題で、三文会運営メンバーの江崎さんから発表がありました。http://www.ustream.tv/recorded/10301122
最初の一分間スピーチのテーマは「昔の大学生のイメージ」。「昔の大学生は熱かった!!」「国を背負う」「行動をする」「自分の行動が社会を変える」「勤勉」「エリート」「昔の人は教養があったな」「そもそも「熱い」って何だろう?」「今の大学生はどうだろう?」「一部の人が取り上げられているだけで,今の学生のマインドと対して変わらないのではないか・・・」。などなど、 19人の参加者がそれぞれの「昔の大学生像」を語り、期待が膨らむ中で発表が始まりました。
 江崎さんからは、主に1960年代から2000年代までのそれぞれの時代においてその時目立っていた大学生像を、時代を代表するベストトラーと共に追いかけていく形で発表がありました。
 まずは、60年代。
 日本は高度経済成長期であり、霞が関ビル竣工・東海道新幹線開通といった大きな出来事があり、世界では文化大革命、ベトナム戦争などが起こり、ビートルズが活躍した時代。その中で、1960年当時は日本の高等教育進学率はまだ10.3%程度でした。それが、60年代終わりまでの10年間で21.4%まで、およそ倍に増えています。マーチン・トローの高等教育論によれば、進学率が15%を超えると、大学の役割がエリート段階からマス段階に、出身者が中級技術者へと変わるとのことで、日本の大学生は60年代にこの段階を迎えたことになります。この時代の代表的な書物には樺美智子の「人知れず微笑まん」が挙げられていましたが、そこにある友人への手紙がとても印象的です。「将来、人民のために尽くす立派な人間となるために、人民の中から選ばれて大学へ入るのだと常に念頭におき・・・」というくだりは、まさに当時の大学生がまだエリートであったことを感じさせます。それが、68、69年の安保時にはもはやエリートでなくなった中で、自分探しを始めた運動という側面があると考えられるのではないか、とのことでした。
 次に、70年代。
 東大落城とともに終わった70年安保に、浅間山荘事件。カップラーメンも登場し、大量生産・大量消費の時代へ。加えて、アップル、インベーダーゲームの登場。田中角栄がロキード事件で捕まる・・・。このような時代背景の中で大学生は「社会に背を向ける」シラケの世代へと入っていきます。これは世界的な動きでもあったようです。そして高等教育進学率は23.6%から38.4%まで急拡大。しかもこの拡大は75年までに起こり、その後は増えすぎた学生に対して授業の質を保つべく、当時の文部省が高等教育の量的な拡大を止める方向に動いたようです。この70年代の書物は、1977年の芥川章受章作、三田誠広の「僕って何?」。この本の中に描かれる学生は、学生運動のような過激な運動がある中でどこか軽く、優しい印象を受ける、という話でした。
 80年代。
 若者が消費できるカルチャーが増えた、若者が大事にされた時代。紹介のスライドにもマンガや芸人、アイドルなどサブカルチャー的な絵が増えていました。
 この時代には、実は高等教育進学率は増えていません。量的なものよりも、質的な向上を目指した時代だったようです。経済的にはバブル期へ・・・。学生たちは遊んでばっかりであったという漠然としたイメージがありますが、ここで紹介されたのが田中康夫の「なんとなく、クリスタル」。今ではもうなくなっているであろう固有名詞が多く並ぶ、ある意味情報として受け入れられた小説で、そこに描かれる学生像は、就職活動への心配のようなものは全く伝わってこない享楽的なもののようです。
 そして90年代。
 この時代の大きなトピックが阪神大震災。この年(1995年)を「ボランティア元年」と呼んでいました。この10年間で高等教育進学率は一気に49.3%まで上昇。先ほどのマーチン・トローの分類では、50%を超えるとさらにマスからユニバーサルへ変わるということで、それが日本では2000年頃だったようです。この上昇の背景には、バブル崩壊後の不況、産業の高度化による高卒求人の減少、そして第2次ベビーブーム(1992年頃ピーク)の時に(受験激化緩和のために)私立大学設置基準を緩めたところ、予想以上に大学生が増えた、といった要因が挙げられます。そしてその後の自由主義改革路線により大学を閉められなくなったことが、減らせなかったことにつながります。
 この時代の代表的な書物としては、いくつか週刊誌が挙げられていました。
 「消え逝くバンカラ(週刊新潮)」『大学新事情 体育会どんどん部員減少「敬遠されるミョーな理由」(週刊朝日)』。
 そして、「おもしろサークル」。
 どこか、おじさんたちのノスタルジックな目線で週刊誌のタイトルが付けられている感じが伝わってきます。
 そしてついに00年代。
 挙げられた本は、「マジでガチなボランティア」。
 出版甲子園の企画で出た本で、印税は全てカンボジアに寄付されたらしい本で、本の表紙を見て分かるようにギャル男のお兄さんがマジでガチなボランティアをする話みたいです。この時代の大学生は基本的には90年代の継続であり、高等教育進学率は56.8%まで上がります。ここで、興味深かった話が60年代の樺美智子さんとの距離、です。60年代の活動がイデオロギーのような所から始まっているのに対し、現代の学生の活動は、自己表現のようなところから始まっているのではないか・・・という考察が、とても面白いと思いました。
 ここまでが、よく言われる大学生の変遷であると言えるでしょう。
 ただ、本当に、それだけなのか。
 ここから、各時代における大学生たちの、他の側面についても触れていました。
 例えば学生運動全盛の時期の東大新聞にも、学生会館を作った方の話がのっていたり必ずしも学生運動一色ではなかったことを感じさせる記事があります。また、バブルを満喫していたイメージが強い80年代においても、ダブルスクールに励む学生が多かったというデータはとても興味深いものでした。
 また、発表後の質問では、いつ大学が大学としての役割(学問ギルドとしての役割)を求められたのか逆に知りたいというものや、女子大生という言葉が廃れ始めた(?)のはいつかといったものが出て、とても盛り上がりました。他にも、1960・70年代は東大生が何かをやればすぐに新聞に載っていた、そのころの学生のモチベーションの源泉は「俺の活動が社会に影響を持った!!」という意識もあったのではないかという意見もあれば、92年バブル崩壊後に圧迫面接が増加したという説も飛びだし、就職活動が学生の在り方を規定するのではないか、といった意見も出るなど、非常に濃密な時間であったように感じました。
 最後に、江崎さんからは「【討論】三島由紀夫vs全共闘(角川文庫)」に出てくる、「(東大全共闘を前にして)そして私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。ほかのものは信じないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい。」という言葉の引用から、それが何に対するものであっても、何かに「熱い」ことそれ自体がとても大事なことで、後の成長につながるのではないだろうか、という話がありました。
今振り返って各時代の学生がどうであったという話はあるけれど、案外時代背景が違うことで目に見える部分に違いがあらわれてはいても、学生の行動原則・志向性自体は大きく変わってはいないかもしれないとも感じました。

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