今回は、東京大学大学院学際情報学府の熱川さんが、「脳科学の企み、という企み」と題して、大学院での研究計画を発表しました。
2010年現在、「脳科学」に基づくと称するテレビ番組があったり、茂木健一郎氏ら「脳科学者」がいたりと、「脳科学」は一つの学問分野に見えます。
しかし熱川さんによると、「脳科学」は、千葉康則氏が1964年に発表した『脳科学入門』以前に用例が見つからない言葉だそうです。国立情報学研究所の日本最大の論文データベース
/CiNii/(サイニィ)で、「脳科学」の語を含む日本語論文の数は、1996年と1997年にのみ著しい伸びを示しています。
1996~1997年には、研究者の団体や政府の審議会が「脳科学」に関する提言・答申を相次いで発表し、1997年には理化学研究所に脳科学総合研究センター(理研BSI)が発足しています。そこで、「脳科学」の発展に当時の科学技術政策が大きな貢献をしたという仮定の下、その政策がどのような過程で生成され、結実していったのかを明らかにするために、理研BSIの設立の過程を復元する研究を始めたそうです。
熱川さんは4月から、調査のために理研BSIに研修生として所属しているそうで、守秘義務があるため、具体的な研究の内容については話せないとのことでした。
会場からは、「『脳科学』に限らず、どのような学問分野も最初は政治的に作られているのではないか」との質問が出ました。熱川さんにとって最も痛い質問だそうで、「政策が重要な役割を果たしたと思われるほかの分野との比較で、何か特殊な点を見つけたい」と答えていました。比較の対象には、原子力工学やライフサイエンス(生命科学)が考えられるそうです。
今、文部科学省の大型の競争的研究資金「21世紀COEプログラム」や「グローバルCOEプログラム」で、東京大学でも「ソフトロー」「死生学」「セキュアライフエレクトロニクス」などの新しい学問分野に関する、世界に評価される研究拠点(Center
Of Excellence=COE)を作り出そうとする取り組みが始まっています。「脳科学」が構築された過程から、新しい学問分野を構築する戦略が導けると、理想的ですね。