本日は「ムラアカリをゆく旅の出会い」というテーマで、友廣裕一さんにお話し頂きました。
友廣さんは、2007年3月 早稲田大学商学部を卒業。 在学中?卒業後にかけてベンチャー企業2社の創業に携わる。 学生団体『早稲田リンクス』幹事長、社会起業家ビジネスプランコンテスト『STYLE4th 』事務局などを経て 地域の現場を身体で感じるために日本一周の旅へ、という経歴の持ち主です。
サステナビリティーを学ぶ授業の一環として、ミクロネシア連邦ヤップ島での自給自足生活を経験されたことが新たな価値観を生み、それから地域の生の情報を得るために旅を始められました。ヤップ島では、石のお金が現在も使われ、豊かな島なので外界との交渉が必要なく、現代の貨幣社会の弊害がほとんどないそうです。また、時計が必要ないおおらかな生活で、子供たちがいつもきらきらと遊び回っていたそうです。これまでま大阪、東京という都会で生活されていた友廣さんにとって、効率を求めないそのような生活は全く新しいものだったそうです。
その後、約六ヶ月間、ヒッチハイクをしながら地方集落を約70町村回りました。人づてに縁を頼りながら、農作業などを手伝う代わりに宿を求めたそうです。「旅人」という無防備な肩書きをもち、集落の構成要素である「家」になじむよう努力することで、その地域を知っていきました。
そして、様々な地域の事例を知ることで、今後の地域社会のあり方を考えていきました。
以下、事例の紹介です。
水俣市では、水俣病という絶望的な過去がありながら、「ないものねだりではなくあるもの探しをしよう」という考えのもと、環境汚染による悲劇を経験したからこそ環境に配慮した地域づくりを目指し、日本有数のクリーンな地域になりました。
人間個人でさえ病を克服するのは難しいのに、それを地域全体でやってのけたエネルギーに感服する、という感想があがりました。
また、有名な白川郷と同時に世界遺産登録をされ、白川郷よりも古い歴史を有しながらも、あまり有名ではない富山県五箇山という地域があります。
これは、大々的に観光地化してしまうと、お金が儲かるのと同時に、ゴミ問題、資源の破壊、地域社会の崩壊など、さまざまな弊害があることを住民が危惧し、あえて身の丈にあった小規模の観光を行っているためです。
ただ、やはりそのせいで地域振興は難しく、若者の流出という問題を抱えています。新たに旅館をおこし、その経営を若者に託すことで呼び戻そうという計画があるそうです。
また、屋久島では、島民の流出で一度は廃村になった村が、都会から来た「ナチュラリスト」の若者が定住することで復活したという事例がありました。
このように、地域には様々な歴史や個性がある、ということを知りました。
しかし最後に友廣さんは、「最近、田舎に定住するのは都会の若者が多い。逆に、田舎の人間は都会を目指す。そのようにバランスがとれているのはある意味良いかもしれないが、それは結局お互いが「ないものねだり」をしているだけかもしれない。「あるものさがし」をするために、自分はまずは自分のホームである大阪や東京でしっかりと生きていかなくてはいけない」、とおっしゃいました。
私はそれに強く共感しました。
東京にいれば「自然がない、人間らしい暮らしがない」と思い、地方へ行けば「医療や教育が不十分、暮らしが地味」と嘆く。それこそが「ないものねだり」なのだと思います。確かに医療など致命的なところでは発展しなくてはいけないかもしれませんが、地方を画一化しないことで、多様な「あるもの」に満たされた国づくりができるのかなと思いました。
私自身も地方で育ち、東京へ進学して6年が経ち、地方と都会の両方で生きていますが、やはりどちらも知ることでまず目につくのは足りない部分です。東京の慌ただしさは嫌だ。でも地元には映画館がない、美術館がない。そうではなくて、東京には集約された文化がありモノがある、地方にはそこで培われたローカルな文化があり人間関係がある。
まずは今いる環境の「あるもの」を探していかなくてはいけないな、と感じた発表でした。
そして、今回は人の話を聞いただけで感じたものですが、それは自分自身が放浪してたどり着く結論でもあるような気がしました。骨を埋める覚悟で移住した人間ならまだしも、そこに根のない人間がいくら入り込んでごちゃごちゃ言ったところで本当のその地域の「あるもの」は見つからないし根付かないと思います。「旅」の先では疎外感しかありません。自分が一番貢献できるのは、たとえ好きではないと思っていても「ホーム」なんだなと感じました。
参考HP
【ムラアカリをゆく】http://murakari.com/