次回「蓄音機を聴く会」

東北地方太平洋沖大地震により落ち着かない日々が続きます。三文会としては、被害が軽微な自分達が日常に復帰し、社会的役割を果たしていくことが大事だと考えており、会が日常を取り戻すきっかけになればと思っています。
また学生中心のネットワークを生かし、今後災害ボランティア、支援の情報がありましたら、メーリス等にて発信する所存です。

次回の三文会は、3月23日(水)AM7:30(開場)より、モンテベルデで行います。ふるってご参加ください。
時間的、地理的に来れない方も、ぜひUstreamによるネット中継・録画 http://www.ustream.tv/channel/hayaoki にてお楽しみください。


次回は某大手予備校で現代文の講師をされている三浦さんの「蓄音機を聴く会」になります。以下、三浦さんによるご紹介です。
 
「音」は、生まれるそばから消えていくはかない命であります。
それは、一回性の、反復不可能な、歴史的瞬間としてあるわけです。
しかしそれが空気中の物理的な運動であるならば、その運動を針に伝えて溝を刻めば、「音」は不滅となるかも知れない。エジソンの1パーセントの霊感でありました。
すなわち、刻まれた溝を針で辿りなおせば、かつての振動は蘇り、「音」となって再び生まれいづるのではないか。蓄音機はそのためのまことに謙譲な、と申しますのはナチュラルな回路であります。
レコード盤に刻まれた溝を針で辿り、ささやかな震えを薄い金属板に伝えて増幅し、さらに徐々に径を広げてゆく管を通して音響へと導くばかり、そこには「こしらえ」がございません。
およそ作為のないメカニズムが、しかし、驚くほどの色と響きとをもたらすことです。
そしてそれは「音」にとどまらない。「音」を含んだかつての「空間」が蘇るとでもいいたいほどであります。
かつて確かにあった「空間」に包まれて、我々もまた謙譲になる。つまり音楽空間に一体化してしまえば、もはや対象化はかなわず、生意気な音楽批評等できなくなってしまうのではないでしょうか。
 
さて現在、それに類する技術は飛躍的な発展を遂げつつあるわけですが、往時の文化を体験して、今日ある音楽体験の現実を顧みるきっかけを得るというのも、以上のような点で意味あることではないかと考える次第です。
 
使用いたします蓄音機は、一九二八年頃英国製のポータブル(HMV102)です。
小型の装置ではございますが、蓄音機の魅力のひとかけらほどはお伝えできるのではないかと存じます。

【1分間スピーチのテーマ】「私の音楽体験」

【発表者】三浦武さん(予備校講師)

参加費(朝食込み):学生 600円(2011年より変更)、社会人 1200円(朝食抜きの場合は、300円、600円とします)
参加連絡は参加確認フォームからお願いします。※ちなみに毎回このようなお弁当(スープ・コーヒーつき)が出ます。
breakfast
場所は、以下の地図を参考にしてください。最寄り駅は、本郷三丁目、東大前(徒歩10分)、春日駅(徒歩15分)です。本郷6-2-9のマンションの2階になります。
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